incentive論/institutionalism関連

 とくに、G・A・コーエンの1992年のタナー講義「インセンティブ・不平等・共同体」(Rescuing Justice & Equality 2008RJE)ch. 1に所収)、97年の論文「行為はどこにいったか?――分配的正義の場所について」(『あなたが平等主義者なら、どうしてそんなにお金持なのですか?』第9章、RJE ch. 3に所収)などを一つの端緒として、「正義=制度/道徳=行為」の二元論の再検討という文脈で展開されているいくつかの議論の紹介です。

 

 コーエンは、あくまで「分配的正義論」内部での議論としてではあるが、制度と行為の二元論について、92年の論文ではロールズの格差原理における「インセンティブ」の位置づけ、97年の論文では主に「基本構造」の範囲という観点から批判した。90年代後半以降、Philosophy & Public Affaies 誌を主な媒体として、これらの批判をめぐる議論が蓄積されている。コーエンと問題意識を共有する論者が、個々人の行為選択の背景にあるエートス等へのアピールの重要性や「慈善」等の理論的意義を指摘する議論を展開し、それに対して――もちろんコーエン等の議論の意義を部分的には認めつつ――「制度の徳」としての正義という観点を保持する制度主義擁護の立場から、コーエンの議論の射程とそのplausibilityやロールズ解釈の妥当性をめぐって反論がある。

 制度主義擁護論として、ポッゲ、A・ウィリアムズ、タンなど。ウィリアムズは公示性条件の観点からコーエンを批判している(それに対するコーエンの応答は RJE ch. 8)。タンはコーエン、マーフィーらの議論はoverly demandingだと批判する。他方、シフリンの議論では、コーエンのロールズ批判を不完全義務という観点から深めようとしている。マーフィーはコーエンとは相対的に独立したところで、行為/制度二元論について「慈善」の意義という観点から批判している。共同体主義の議論もそうだが、とくに「the personal is political」というフェミニズムのスローガンがこの論脈においても重要であり、スーザン・オーキン以来の「基本構造」の範囲をめぐる論点も問題になる。

 A・センの『正義のアイデア』(2009)も(遅まきながら)一部でコーエンにも言及しつつこれに関連する議論を「制度主義」という語を使って展開しているが、センの議論は制度と行為の二元論への批判というよりも、むしろ「超越論的アプローチ」批判のほうに力点がある。センの議論では制度主義は、最終帰結主義(功利主義)の対極としての手続き主義・義務論批判として批判されている――センの立場はいつものように(彼が設定する)両極の間の第三の道。ただ、センの議論では、超越論的アプローチがつねに制度主義になる(あるいはその逆)と言えるかどうかは不明である。たとえば、センは、帰結主義に対置する手続き主義の典型として、ノージックの『アナーキー……』の議論を挙げているが、このノージックの議論は「制度主義」批判論のなかでは、むしろ重要な先行研究として参照されている(もちろん、結論と目的は対極なのだが、それはそれでコーエンが論ずるように重要な課題である)。

 なお、センの議論――マッキンレーとキリマンジャロの高さというローカルな比較問題にとって最高度の「エベレスト」の高さを知る必要はない――に対して、ジェラルド・ガウス(Gaus)は、「社会契約と社会的選択」(未公表だが、彼のhpに草稿のpdfあり)でローカルな比較の結論がさらなる正義実現の方向性に一致しているか否かを知るためには、目標とすべき理念(エベレストの高さ)を知る必要があると指摘し、また制度主義を擁護している。

【制度主義に(どちらかと言えば)批判的な議論】

Murphy, Liam B. 1998 "Institutions and the Demands of Justice," Philosophy &

Public Affairs, 27-4: 251-291

・Murphy, Liam B. 2000 Moral Demands in Nonideal Theory, Oxford University Press

Shiffrin,Seana Valentine 2010 "Incentives, Motives, and Talents," Philosophy & Public Affairs, 38-2: 111-142

【制度主義を(どちらかと言えば)擁護する議論】

Williams,Andrew 1998 "Incentives, Inequality, and Publicity",Philosophy & Public Affairs 27-3, (Summer 1998): 225-247

・Pogge, Thomas W. 2000 "On the Site of Distributive Justice: Refrections on Cohen and Murphy," Philosophy & Public Affairs 29-2, (Spring 2000): 137-169

Tan, Kok-Chor 2000 "Justice and Personal Pursuits," The Journal of Philosophy, 101-7 (2004): 331-362

・Joshua Cohen, Joshua 2001 "Taking people as they are?" Philosophy & Public Affairs 30-4: 363-386

・Julius, A. J. 2003 "Basic Structure and the Value of Equality," Philosophy & Public Affairs 31-4: 321-355

Baynes, Kenneth 2006 "Ethos and Institution: On the Site of Distributive Justice," Journal of Social Philosophy, 37-2 (Summer 2006): 182-196

・Titelbaum, Michael G. 2008 "What Would a Rawlsian Ethos of Justice Look Like?" Philosophy & Public Affairs 36-3: 289-322