Armitage, Faith 2006 "Respect and Types of Injustice," Res Publica 12-1: 9-34

とくに、N・フレイザーの分配的正義と文化的正義、あるいは再分配と承認という観点から、とくにウルフとヒルトンの「尊重」の意義をめぐる議論を検討。

 

まず、ロールズ、ドゥオーキンの議論がいずれも分配問題に収れんすることが確認される。

 

「ロールズとドゥオーキンの正義の理論に関する論争は、往々にして通貨(currency)という語で表現されている――つまり平等の正しい通貨ないし指標とは何か、と。指標はそれ自体多かれ少なかれ内的に複雑なものでありうる。……だがこの議論潮流では、それらはある意味で統合されたもの(unified)と考えられている。これらの平等主義を支えているのは、社会正義はもっぱら分配問題に関わるものだという理解である。もし、ある人が別の人に比べて不平等だとするなら、そこで採用される通貨が何であれ、その解決策は、多く持っている人から徴収して、少なくしか持たない人に再分配することだ、と。」(18)

 

・ウルフは「公正性と尊重」という観点から従来の議論を批判する。ウルフ(1998)によれば、ドゥオーキン、コーエン、アーネソンらはそれぞれ「平等の通貨」についての理解は異なるが、「公正(fairness)テーゼの辞書的優先性」を前提にしている点で共通している。これは平等主義の「一元論的」な解釈であり、尊重(respect)の観点からみるとimplausibleである。それに対して、「公正性」だけでなく「尊重」も重要であり、両者を平等主義の根幹に据えて考えるべきだ。(24)

 このウルフの議論は、「補償パラダイム」批判等のいくつかの点で、フレイザーの枠組みにかなり近い。だが、同時にウルフ自身(2002)が提起する四つの改善策(個人的増強、外的資源、目的を絞った資源投入、地位向上)は、すべて「再分配」という用語で記述されている点で、ウルフの理論的な志向性はフレイザーとは異なり「分配的正義」にある。(29-30)

 

・ヒルトンの「地位の平等」は、「経済的搾取」と「社会的支配」という二つの不正義を除去することの重要性を表現している。だが、ヒルトン自身は、ロールズ格差原理の改定版によってこの目的は達成されると論じており、文化に関係する「社会的支配」という論点が消え去ってしまっている。(30-32)

 

・ウルフやヒルトンの議論は、依然として「分配的社会経済的な正義パラダイム(distributive socioeconomic paradigm of justice)」に志向性があるが、フレイザーの用語では「分配的不正義」と「文化的不正義」の両者に着目し、とくに後者の重要性を指摘する点で意義がある。