差別論(日本の社会学系の議論)

江原由美子(1985)「差別の論理とその批判――「差異」は「差別」の根拠ではない」『女性解放という思想』勁草書房

 

 日本の差別論に影響を与えた重要論文。とくに、①「平等」の理念に基づく(従来の)差別論を、「非対称性」という観点から批判する点、②「差異」を「差別」行為によって作られるものとして捉える点は、後の多くの議論に影響を与えている。

 重要な指摘が多く含まれているが、「差別」とは何か、という問いに対して正面から答えられているとは言えない。江原が導入する「非対称性」という用語は、「差別とは何か」という問いではなく、「差別はなぜ告発しにくいのか(見えにくくされるのか)」といった問いに対応する議論のなかに位置づけられる。

 

西阪仰(1996)「差別の語法」

 

 江原の議論では「差別は理不尽なものだ」という論点に着目した議論。

 だが、「説明・理解可能性」と「正当性」という「理不尽」の二つの含意が混同されている。

 

佐藤裕(2005)『差別論――偏見理論批判』

 

 〈カテゴリー化して見下しつつ排除する〉という行為に注目する議論。江原と同様、差別を「排除」として特徴づけ、その不当性の根拠を「不平等」ではなく「非対称性」だとする。

 だが、①カテゴリー化して見下しつつ排除する行為の「全て」がつねに「非対称性」を生じさせるのか、それとも、②個々の行為とは別に、その行為の文脈・背景として、ある種のカテゴリーに基づく成員間の「非対称性」や力関係などが社会構造や歴史的事実、知識等として存在しているのか、という重要な点が曖昧にされている。それにより、結局、「分かる人には分かる」という議論になってしまっている。

 

山田富秋(1996)「アイデンティティ管理のエスノメソドロジー」

 

 平等理念に基づく差別論にも、告発ベースの差別論にも固有の問題があるという見方を前提にして、差別者/被差別者の双方に「アイデンティティ」として共有されている「常識」≒「支配的文化」に問題がある、と主張。 上記の佐藤の議論とは対照的に、個別具体的な行為の背景・文脈に着目する議論。最終的には、ほとんどすべての「常識」が(権力関係を内在させているとして)相対化されればよいという議論になる。

 だが、常識のすべてに問題があると言えるのか、あるいはその一部に問題があるのか、またすべてに問題があるとしてその理由は何かは論じられていない。「支配的文化」や「上下関係」「権力関係」等にはつねに不当性が含まれるのか(そのすべてが「差別」になるのか)、そうだとしてその根拠は何か、という点も明確に論じられていない。

 

  ・坂本佳鶴恵(1986=2005)「社会現象としての差別」『アイデンティティの権力――差別を語る主体は成立するか』

 

 江原による「非対称性」、つまり差別の告発を困難にしている言説構造を、差別をめぐる議論ではしばしば「何が差別か」が(とくに差別者に共有されず)争点になるという観点から展開した議論。

 だが、「差別とは何か」という問いと「差別問題とは何か」という問いが混同されたまま議論が展開されており、結局、「告発があれば差別である」という議論になっている。